「笑顔がいい」ってたまに言ってもらえることがあるのだけど、それはあなたといるからなんですよ。
県名と県庁所在地の名前が違う県は
明治政府の廃藩置県に反対した県
361: 既にその名前は使われています:2010/11/12(金) 19:41:57 ID:B8Q24r36
イージス艦の操作マニュアルを総て紙に印刷して艦に搭載すると
艦が沈む
ちなみに、最新鋭戦闘機のマニュアルを同様に紙に印刷すると
約50トン
Red strawberry
加害者の人権への配慮は被害者の人権を損なう!?
ネットや週刊誌などでも、死刑反対を訴える弁護士や知識人たちへの反論として、「殺された被害者の人権はどうなるんだ?」は、ほぼ常套句のように使われるフレーズだ。ならばもう一度反論しよう。
このフレーズの前提には、(治安悪化を理由に厳罰化を正当化するロジックと同じように)決定的な錯誤がある。
高校生たちは「被害者の人権を軽視しましょう」などとは発言していない(当たり前だ)。ただし加害者(死刑囚)の人権について、自分たちはもっと考えるべきかもしれないとのニュアンスは、確かにあった。そしてこれに対して会場にいた年配の男性は、「殺された被害者の人権はどうなるんだ?」と反発した。つまりこの男性にとって被害者の人権は、加害者の人権と対立する概念なのだ。でもこの2つは、決して対立する権利ではない。どちらかを上げたらどちらかが下がるというものではない。シーソーとは違う。対立などしていない。どちらも上げれば良いだけの話なのだ。ところが加害者の人権への配慮は被害者の人権を損なうことと同義だと思い込んでしまっている人が、あまりに多い。いつのまにか前提になってしまっている。
“殺された被害者の人権はどうなる?” このフレーズには決定的な錯誤がある|森達也 リアル共同幻想論|ダイヤモンド・オンライン
被害者の人権と加害者の人権が対立するというわけではないし、その2元論に陥れるのはミスリードでしょう。
第3者の人権を踏みにじった人は、社会から人権を剥奪される、という解釈で死刑制度は成立するのではないか。
「人権はいついかなる時どのような人にも必ず担保される」という考え方は、優先度が決まらないという点で無限ループする可能性がある。
けど、資産や個別に持ってる能力で(公的に定義される)人権が変動するというのはまぁ無しでしょう。
そもそも人権そのものが人間が社会を維持するために考案されたシステムである、と仮定してみる。
神から与えられた全能的なものではないということ。
システムであるならば、システムに対する破壊者はバグとして排除されるべきである。
ただ、加害者の人権を剥奪するのは必ずシステムでなくてはならず、被害者の怨恨によるものであってはならない。
なのでシステムとしての死刑はOKだけど、復讐はNG。
これじゃダメ? 何が何でも全員の人権が確保されるべき!という論調は、確率的に必ず存在する極少数のサイコに対して無防備過ぎて、逆に多数の人権を無視してる状態ですよ。
(via tra249)
ところが、その後、オタク文化はより巨大になり、より洗練された。そして、オタク文化がより一般的になり、オタクを名乗ることに対する抵抗感が薄れた結果、オタクを名乗りながらも実態としては「みんなと同じ」ではないと気が済まない人間が増えてきたのだろうと推測する。
「みんなと同じ」であることが「勝ち」であり、「だれも見ていないアニメをひとりで見ている」ことが「負け」であると考えるような価値観、それはまさに一昔前の「普通の人」そのものだ。
オタクはいま、「普通の人」に侵食されつつある。しかし、皮肉なことに、より広い視点で見れば、その「普通の人」は過去の概念になりつつある。もはや「みんなが見ているテレビ番組」だの、「みんなが聴いているポップミュージック」だのは存在しない。「普通の人」はもはや必ずしも「普通」ではないのである。
貧乳の友達が「胸がお父さん似なだけだよ」って言ってて言い訳界の革命児だなと思った。
湖の頂上付近で採取されたコアから得られた氷のサンプルを分析した所、その氷は約42万年前の物だと分かった。その事は、湖が50万年から100万年にわたって氷に封印されていた事を暗示している。現在、コアの掘削は湖水の汚染を防止するために、氷床と湖水の境界面まで120メートルの地点で停止されている。